woddupu’s diary

登録コメ便にて手動ログを。※それはR4十月分をもって終了

いつの時代だってその時代の人らが社会をつくったのに

投稿に対するアンチ記事は私はオーケーです、脅迫する系はアカンけど。

よく聞く話として、今のお年寄りが現役時代をやたら自慢し、若者に苦労を連鎖させたり、若者に嫉妬したり。そんな人しかいないわけではないですが、俺らがつくったなんて だから苦労しろとかね。老後は幸福が待っていると信じて、それでそれがなかったらそりゃ怒るのはわかるから、そう満足できる機会は、新しいものが進出する範囲内で、希望者に与えるべき。
今には姥捨て山が足りない、なんて気持ちも分からなくはない。それだけ社会には余裕がないのだもの。余裕がないのがウソとも考えにくい。

不満とされることはこのくらいにして、これで思ったのはそれぞれの時代に現役だった人らが、街をつくったり仕組みをつくったり店をつくったり。これらには時代によって大きな優劣があるものではないと思う。
WW2からの高度経済成長は確かにみためとして変化がわかりやすいので大きく成長、それがとりわけ大きい成果をあげたのだと当事者が思うのはわからなくはない

その時代時代の話をする際に、アーカイブスをつくれる環境で話されるのが一番いいのですが、私が実際にきくのは、仕事中の流れで話されることが多く、その内容はありふれた話が多い。それでもアーカイブスをつくる必要性は感じられる。話を扱うの、困りもの。

苦しみを引き継がせてもいいことはないし憂さ晴らしにもならない。
それぞれの時代の人がそれぞれのできることをすれば結果として時代の形がつくられ、それが過去と比べられようと劣等感を感じる必要はないだろう。