SNSでネガティブな情報を発信しているのは、自己犠牲の意図もあるのでは
ネット検索した結果、記事で今回挙げる理由が挙げられているのを見なかったので記事にしました。既に今回挙げる理由で記事やツイートやトゥートが書かれているとは思うのですけどね。
ネガティブツイートをたまには見る事があります。
それって単に日常がネガティブな一面であったとか、悲しみを共有したいとか、正しい情報として発信した、そのような理由もあります。
他にもネット検索すれば理由はヒットするかと思います。
でも中には、(皆の価値を出すために)下の存在になってあげるとか、とにかく自分を下げたいとか、上位の様子を見て自分を否定的にするとか、そのような理由もあると思うのです。
謙譲の意とはちょっと違うのかも。
その通りの意図なのかは知りませんが、この人はそんな感じです。
くもり は『0、0、2、0』をつかって10にしてください。#shindanmakerhttps://t.co/XmkgEDenBM
— kumoblue (@kumo_blue) 2020年11月20日
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昔のぼくの居場所はもうぼくが居れる空気感じゃないし、今の居場所もきっと無くなるし、これからも居場所はできない。
— kumoblue (@kumo_blue) 2020年11月28日
私がリプする度にでしょうか、と思いきやそうではなくなった時でも、4パターンはアイコンと名前を変えてます
流行りのハッシュタグに便乗する様子はなく、むしろ答える側。
下になってくれた存在が居ると、上下関係で苦しむ人の心の支えになるでしょう。
自分で否定的になっている様子が見えると、他人は安心するでしょう。
これら理由で下になった存在達を含めて人類の活動とよくあらわすでしょう。
その下になる存在達に必要性があるのかは未知でしょう。
何故かこのネタを見かけなかったので、言葉足らずだと書いてて思いますが書いてみました。
記事の最後にツイッターの推移を載せているのは、自慢ではなく、推移を集めたい人が存在するとの想定で載せているものです。
下になってあげるとは、私は特にしなくていいと考えてます。発信内容は下になるためとはあまり意図してません。細かい画素数の違いがある動画など、様々なバリエーションを発信したいとは考えてます。下になりたい人はなった方が世の為な気はします。